俺が俺である理由

結婚して3ヶ月で不倫されて離婚した無職のイケメンが世の中のバカやクズを好き勝手ディスりあげながら人生について考えていくブログ。アニメやゲームなど好きなジャンルについても随時語ります。

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いじめは絶対になくならないよって話

どうも、ジスさんです。

 

最近マジでカードゲームするか、ゲームするか、ブログ書くか、本読むか、呼吸くらいしかしてなくて生きるゴミだなぁって思ってる俺です。

 

 

さて、今回のテーマはいじめは絶対になくならないよって話。

ということで早速書いていきましょうか。

 

珍しくまともな話ですが、あくまで俺の個人的な意見ね。

なんかいろんな人が小難しく書いてる記事たまに見ますが、意外に簡単な話ですよ。

 

 

俺は過去、別にいじめをしてたわけでもなくいじめられた経験もはないです。

 

中学時代クラスでいじめられてた女の子がいて、まぁ俺もブスだなぁとは思ってたけど、いじめに加担するとか面倒くさいし巻き込まれたくなかったので、イジメられてるのをただクラスの片隅でゲームボーイアドバンスしながら見てたくらいですかね。

 

いわゆる傍観者というやつでした。

 

 

さて、”いじめ”というのはちょいちょいニュースにも話題にあがる社会問題です。

 

いじめは学校、会社など至るとこであります。

子ども大人問わずおこなわれていますね。

 

いじめの原因はさまざまです。

 

子どもの場合は、見た目でいじめの対象になる事が多い気がします。

大人の場合は、見た目に加えて性格や仕事っぷりなど多方面から要因が考えられます。

学校や会社で権力を持ってる奴が、中心でやってる事が多い気がします。

 

 

いじめる側の思考

 

いじめる側の思考は至ってシンプル。

純粋に何かの理由で、ターゲット側の事が気にいらないって事。

 

 

俺がいろんな記事で書いていますが、”人間は知らずの間に常に他人を見下し、見下す事により自分の存在意義を確認しています。”

この感情はほぼ全員(特に日本人)持っています。絶対に。

 

簡単に言うと人間ってのはそれぞれ考え方が違うじゃないですか。だから人間ってのは面白いんですけど。

 

例えばリンゴが机に置いてあったとして、これは何ですか?という質問をしたとします。

 

だいたいの人はリンゴと答えますが、人間の考えというのは様々なので、ひょっとしたらそのリンゴをミカンという人がいるかもしれません。

そこでリンゴ派は、ミカン派の人の考え方はおかしい、馬鹿だ。と思うわけです。

しかしミカン派はそれが本当にミカンだと思ったわけで、なんでミカンって事がわかんないんだろう。リンゴ派は頭が悪いなぁ、とお互いがお互いを心の中でけなすわけです。

リンゴ派はミカン派をけなした上で、大多数のリンゴ派を支持し、逆にミカン派はリンゴ派をけなした上で少数派のミカン派を支持するわけですよ。これ言ってる意味わかるかな。

 

今回の例は最初に”リンゴ”という事を明記してるのでリンゴ派が正しいわけですが、それが答えのないもの。もしくは答えがまだ見えてないものについて派閥ができるなら、”議論”もしくは”戦争”というものが行われるわけです。

 

人間はロボットではないので、思考がそれぞれ違う。

ゆえに意見の違いで対立する。ということ。

 

俺はその事柄の答えより、それに至るまでの過程を考えるのが好きな人間なんで、正直答えなんてどうでもいいんですけどね。

考えたとこで結局決めるのは自分。国に関する事ならお偉いさんが決める話です。

朝まで生テレビ”みたいな討論番組かなり好きでよく見てるんですが、あれなんてそれぞれのパネラーが自分の思考によって導き出した答えの答え合わせの場所ですよね。なぜその答えに至ったかの過程を知る事ができるので観てて楽しいです。

 

 

 

 

あれ、なんの話だったっけ???

 

 

あぁそうそう。

で、いじめる側の思考というのは、その誰しもが持ってる他人を見下すという感情を直接相手にぶつけるわけです。

感情の赴くままに。

 

その瞬間はいじめる側の思考というのは、めちゃくちゃ爽快感あると思いますよ。

一人がいじめられると周りの奴らも今まで普通に話していた人が途端にいじめたりしだすものです。

集団心理というやつです。

 

仲間という同一意見を持った人と協力して実行するんだから、そこに謎の結束力も生まれちゃったりしてね。

 

あといじめる側というのは、目上の人の前ではいい人を演じる事が多いです。

学校だったら先生とか、会社だったら上司とか。

この思考は自分が上に行きたい、出世したいという思考。

 

いじめる側にとっていじめのターゲットを立場的に上に見る事はまずないので、こいつよりは上、こいつよりは出世できる。という保険のようなものです。

それによって得られる安心感というのは、いじめる人間でなくても必要にしてる事が多いです。

 

ここまでで言えるのは、いじめる側というのは自分の欲望に忠実というか、悪い意味で素直な人だなって事が言えますよね。

いじめてる俺かっこいい!みたいな。

もっとストレートに言うなら”ただのガキ”なんですがね。

 

 

 

いじめられる事を回避するには

 

今度はいじめられる側の話。

 

いじめにはいじめられる側にも原因がある。なんて事言う奴もいますが、俺から言わせてもらえば絶対にそんな事はない。

そんなんいじめる側がいじめを肯定的な物にしたい言い訳。もしくは傍観者、第三者の意見。

 

先ほど述べたとおり、いじめる側というのは見下せる人間を見つけて攻撃することにより優越感に浸るので、ターゲットが絶対こいつじゃないとだめっていうのはあんまりないと思います。

大人のいじめになるとまたちょっと複雑になってくるのですが、基本的にどこか見下せる部分があると誰でもターゲットになる可能性があります。

 

 

つまりいじめのターゲットになる人は、普通の人より劣っている部分が見えやすい人なのかもしれません。

 

子どもの頃は見た目でいじめの対象になりやすいと書きましたが、子どもの頃はその人の本質に気づく能力が足りないので見た目でターゲットを決めるのではないかと考えています。

大人のいじめになると、そこに相手の本質が見えてきて見た目以外の事も要因に加わりますから余計にめんどくさい。

 

 

原因を回避する方法のひとつに、明るく振舞う事。というのは大事かもしれません。

見た目とかまぁ簡単に変える事はできないじゃないですか。

だったらとにかく明るく振舞うことで、可愛げのある人と認識されていじめにまでは発展しないかもしれません。

 

ムードメーカーというのはなんだかんだで周りから慕われる事が多いです。

よくあるじゃないですか。お調子者が学級委員になってクラスを引っ張っていくみたいな事。

 

逆に暗い性格だと、その感じがいじめる側を更に燃え上がらせるかもしれません。

 

俺は中身は昔から性格変わってない中身は真っ黒だったけど、普通にクラスのヤンチャなやつとゲームの話とかしてたし、結構くだらん話で盛り上がったりしてたのでいじめのターゲットにはならなかったみたいです。ポーカーフェイスが大事な場面もある。

 

 

 

もうひとつは逃げる事。 

どうせいじめはなくならないし、先生もあてにならないです。逃げる事。これは重要。

 

 

あと書いてる途中に本当そのとおりだなって記事を見つけました。

 

ironna.jp

 

まぁ国がそういうシステムになってるんで無理な話なんでしょうけど、本当そのとおりだなって思います。

社会に出ても一緒の事言えますよこれ。

 

 

いじめは絶対になくならない。

 

まとめになります。

いじめる側の思考のとこでも書いてるとおり、人間の基本思考が、他人を見下すという思考なので、いじめは現状なくなりません。

これからもいじめる人、いじめられる人ってのはもちろん出てきます。

 

ネットが普及した事で更にいじめが増えたってのは違うと思う。

ネットが普及した事でいじめのバリエーションやパターンは増えましたが、ネットなかった頃からあったんだから根本は変わらない。

 

これからも俺たちは、いじめ問題について考えていかないといけないなって思いますよ。絶対なくならないこの問題を。

 

 

いじめる側が悪い、いじめられる側にも原因がある。とかは人間それぞれの考え方の違いになるので議論しがいのあるところですよね。

 

小学校の頃の道徳の授業で、いじめ問題についての授業があったんですが、先生が、

 

いじめる側、いじめられる側、傍観者の3つのタイプで一番悪いのは誰だと思いますか?

 

という質問があったのをこの記事を書きながら思い出しました。

 

 

俺は上にも書いてるとおりいじめはいじめる側が100%悪いと思ってます。いじめる側の人間性に問題がある事は前に述べているとおりですね。

もうちょっと考え方のしっかりした、というか自分は自分、他人は他人。という考えの人が増えればいじめは少なくなるとは思うんですがね。

 

 

小学校の頃の先生は傍観者が一番悪いって言ってました。

ネットで傍観者が悪いという記事も検索して読んでみました。

 

傍観者もいじめてるのと一緒で、いじめを容認しているという事で、次に自分がターゲットになりたくないから傍観者になって、そのいじめられている人に申し訳ないと思いながらも見て見ぬふりをするんだ。一番よくない事だ、と。

 

中学時代、傍観者だった当時の俺の思考を今になって思い返すと、次にいじめのターゲットが自分になると嫌だなって思いはたしかにありましたね。

でもその他は全くそう思わないです。

 

傍観者もいじめてるのと一緒でいじめを容認しているってのが一番意味がわからないですよね。知らない間にいじめる側が勝手にターゲットをいじめて、それに気づいていじめる側のバカにはなりたくないし、いじめられる側にもなりたくない。

だったら見て見ぬふりするだろ普通。

やっかいな事に自ら首をつっこむ意味もわからないですし。

 

大人や先生を頼りなさい。

◯◯さんがいじめにあっています。と伝えなさい。

 

ってのも聞きますが、まず根本として先生はいじめを把握してないとダメだろってのと、それを先生が把握していじめてる生徒に指導したとこでどうせ先生の見えないとこでまたやるんだからいじめるやつは。

 

これは俺が傍観者だった頃の意見であって、実際いじめられてた人は相当苦労してたと思いますよ。でも傍観者ってのはだいたいそういう思考だと思いますよ。

 

普通に俺もいじめってのはなくなればいいなって思ってる人間ですが、今の現状じゃ絶対なくならないという終わりのない問題です。なかなか難しいですよね。

大人になった今では逃げるってのもひとつの手だとは思いますが。

 

皆さんはこの問題どう考えますか?

 

それではまた次回。

 

次回の記事も全力で読め!そして感じろ!!じゃあの!!!